【目 次】 
       第1章 輝かしき朝――1533―59年 
        一 ウィレムの誕生 
        二 ウィレム、オラニエ公になる ブリュッセルでの宮廷生活 
        三 アンヌ・ド・ビューレンとの結婚 家庭生活 
        四 ブレダの館 スペイン王太子フェリペとの出会い 
        五 皇帝カール五世の退位 アンヌの死 
        六 カトー・カンブレジの和約 パリのウィレム 人生の転機 
        第2章 近づく嵐――1559―65年 
        一 「ウィレム沈黙公」 
        二 ネーデルラントの政治組織・心性の特殊性 
        三 ネーデルラント「全国議会」 フェリペ、スペインへ去る 
        四 執政マルハレータ 対スペイン抵抗派の形成 
        五 父の死 妹カタリーナの結婚 ザクセン公女との婚約 
        六 スペイン軍の撤退 ネーデルラントの司教区の改編 
        七 アンナとの結婚 
        八 枢機卿グランヴェルの排撃 
        九 宗教と政治 
        第3章 悲劇への序曲――1565―67年 
        一 「家庭内の呪い」 
        二 フェリペとエグモント 若い貴族たちの反対派 
        三 統一戦線の話し合い失敗 ウィレム、アントウェルペン商人たちと接触 
        「貴族同盟」の結成と『盟約書』 マルハレータ、苦境に立つ 
        四 『盟約書』の提示 「乞食党」の出現 「乞食党」の宴会 
        ウィレム、アントウェルペンの騒擾を鎮静 
        五 聖像破壊運動 マルハレータ、「同意書」を発布 テルモンデの会合 
        六 「貴族同盟」の崩壊 ウィレム、ネーデルラントを退去 
        第4章 長い夜――1567―72年 
        一 ドイツでの幻滅 
        二 アルバの「血の法廷」 マウリッツの誕生 
        三 『正当なる主張』 ルートヴィヒ、フリースラントへ侵攻 
        エグモント、ホールネの処刑 ウィレムのブラバント侵攻失敗 
        四 海乞食の活動興る アンナとの離婚 
        五 民衆反乱の高揚 アルバ、十分の一税を導入 ウィレムの二度目の反攻、機熟す 
        海乞食、デン・ブリールに基地を構える 
        六 ウィレム、二度目の反攻に出立 
        第5章 救いの水――1572―74年 
        一 北部の抵抗 サン・バルテルミーの虐殺とウィレムの南部作戦挫折 
        ウィレム、北部に基盤を移す 
        二 反乱の推進者カルヴィニスト ウィレムの寛容と人民主権の尊重 
        三 稀な人、ウィレムの人間性 頌詩 
        四 ハーレムの包囲・陥落 アルクマール、包囲をしのぐ アルバの更迭 
        五 ミッデルブルフを奪う ルートヴィヒの死 新執政レケセンスの懐柔策 
        レイデンの包囲始まる 
        六 レイデンの水浸し防衛策 ホラントの国民誕生 ウィレム、病気に罹る  
        レイデンの解放成る 
        第6章 同盟と紛争――1574―77年 
        一 ウィレム、同盟者を模索する レケセンスの和解案拒否 
        二 シャルロッテ・ド・ブルボンとの結婚 
        三 ウィレムの行政官的有能性 レケセンス反撃し、ゼーラントの一部を回復 
        四 レケセンスの死、シャルロッテの出産 「デルフトの統一」 
        五 スペイン軍内の暴動 アントウェルペンの略奪と虐殺 ガンの和平 
        六 新執政ドン・ファン、「永久平和令」を提案 ヘルトゥリューイデンベルフの論争 
        ウィレムの国際的声望高まる 
        七 家族の再統合 ウィレム、南部へ乗り込む 
        第7章 不確かな基盤――1577―79年 
        一 南北分裂の要因 
        二 アールスホトの野心 ガンのカルヴァン派独裁 
        三 オーストリアのマティアス なぜ、ウィレムはネーデルラントの支配者にならなかったのか? 
           パルマ公ファルネーゼの登場 マティアス、執政となる 
        四 パルマ、南部に進出 ドイツ帝国議会の無為 
        五 ヨハン・カジミールの介入 アンジュー、突如モンスに現われる   
        ウィレム、ウォルシンガムと会談 アントウェルペンのウィレム一家   
        フラマン語とワロン語の対立 ウィレムの宗教観 
        六 ドン・ファンの死 ウィレム、ガンへ乗り込む ヨハン・カジミールの失脚 
        「アラス同盟」と「ユトレヒト同盟」の結成 
        七 アントウェルペンの不満 全国議会軍の動揺 
        八 全国議会、ウィレムを信任 
        第8章 「統一すれば、われわれは立っていられる」――1579―81年 
        一 アンジューとの同盟の必要性 ウィレム、ガンの騒動を収める 
        二 ウィレム、全国議会の指導に全力をあげる 
        三 北部への旅行 ウィレムの家族と家政 
        四 ウィレムの首に懸賞金かけられる 
        五 アンジュー受けいれの条件整う 
        六 母ユリアーナの死 ウィレム病む 
        七 『弁明』 
        八 ウィレムはいつごろ独立を決意したか フェリペに対する「廃位布告」 統一こそ力だ 
        第9章 「分裂すれば、われわれは倒れる」――1581―84年 
        一 アンジューの政治的重要性変わらず 
        二 アンジュー、アントウェルペンに到着 
        三 ウィレム、狙撃される シャルロッテの死 
        四 アンジューのクーデター失敗 
        五 アンジューなお必要 ルイーズ・ド・コリニーとの結婚 ウィレム、アントウェルペンから逃亡 
        六 ゲープハルト・トゥルフゼスの一時的介入 フレデリック・ヘンドリックの誕生 アンジューの死 
        第10章 デルフトの暗殺――1584年 
        一 ウィレム、暗殺される 
        二 バルタザール・ジェラールの処刑 
        三 人民の父ウィレム 
        〔補遺〕 完全独立まで――1584―1648年 
        ――――――――――――――――――――― 
        原  注 
        訳者解題 
        オラニエ・ナッサウ家系図 
        ウィレム沈黙公関係略年表 
        史料・参考文献リスト 
        索  引  |