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許 智香 著
A5判並製 412ページ
定価:本体6000円+税
ISBN978-4-89259-849-4 |
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植民地朝鮮にとって西洋哲学とは何であったのか。西周による「哲学」という翻訳語の誕生とその日本における学制化の過程を検討し、植民地朝鮮への伝播を経て漢字圏で共有されていく道筋を追う。
はじめに
第一部 「辞」から「概念」へ、そして制度化の第一場面
第一章 西周の思想遍歴
1 はじめに
2 先行研究の検討─「徂徠学」という問題
3 創立当時の養老館(一七八六年)
4 西周と養老館
第二章 名詞の記録と法的力─西周の「性法」翻訳と「philosophy」の翻訳の間
1 はじめに
2 オランダ留学とその背景
3 regtと「原権」「性法」
4 philosophyの翻訳をめぐる研究状況と「尚白剳記」
5 既存のものの変異と解体
第三章 西洋哲学史を通じての性理の横断─西周の「生性発蘊」(一八七三年)を読む
1 受容史を超えて
2 「普通学」という概念の当時における用法
3 新たな学問の在り方を模索する─「百学連環」における「哲学の歴史」
4 「生性」への帰着─「生性発蘊」の構成および内容
5 「生性発蘊」の歴史性─部分ではない全体としての思想
6 刊行以前の、記録を進めること
7 それ以後
第四章 「哲学」の定着をめぐる当時の状況
1 西周と明治五年学制
2 ことばの移動
3 一八七〇年大学規則から東京開成学校までの「理学」の定着様子
4 東京大学文学部と「哲学」の採用(一八七七〜一八八二年)
5 東京大学年報からみる哲学科の教授内容
6 「哲学とはなにか」と問うこと
第五章 井上哲次郎らの『哲学字彙』(一八八一年)に関する考察─哲学関連漢字翻訳語の問題
1 完全に置き換えられた概念
2 国語国字問題からわかるもの
3 井上哲次郎『訂増英華字典』(一八八三年〜)と『哲学字彙』(一八八一年)との関係
4 原語へ戻る道のない漢字語─『哲学字彙』の構図
5 記号としての訳語(一)─音韻情報の欠如
6 記号としての訳語(二)─概念の一対一の対応関係
7 「清国音符」および「梵漢対訳仏法語籔」─音訳漢字の再編成
8 『哲学字彙』が志向したもの
【附記】『哲学字彙』の漢文註釈
第二部 京城帝国大学における哲学という学知
第一章 京城帝国大学法文学部の哲学関連講座─帝国大学との関連性を重視して
1 京城帝国大学の哲学関連講座という問題
2 二つの争点
3 哲学科の学制定着過程─東京大学から帝国大学へ、そして京城帝国大学まで
4 京城帝国大学法文学部の哲学関連講座
5 哲学関連講座担任教授について
6 講座運営と開設科目
7 学生
第二章 京城帝国大学予科「修身、哲学概論」教授、横山將三郎について
1 京城帝国大学予科
2 横山將三郎(一八九七〜一九五九年)の生涯─一九四五年一一月まで
3 京城帝国大学予科「修身」「哲学概論」科目をめぐるいくつかの資料
4 横山將三郎と考古学
5 横山將三郎の戦後
6 おわりに
第三章 京城帝国大学「哲学、哲学史第一」講座と大正教養主義
1 金桂淑(一九〇五〜一九八九年)という問題設定
2 安倍能成の生涯そして、伝記にみられる消極的記述
3 安倍の学問的背景と研究成果─京城帝大赴任以前
4 「人生哲学」で植民地朝鮮に生きる
5 戦中そして戦後という問題
【附記】安倍能成の「哲学、哲学史」講座ノートおよび西洋文献目録の再現
補 論
補論1 井上円了と朝鮮巡講、その歴史的位置について
1 問題設定
2 「哲学館」の設立およびその拡張過程における全国巡講
3 「哲学堂」建立と全国巡講
4 井上円了の朝鮮巡講─長谷川総督との会話
5 「朝鮮巡講」における講演の内容
6 おわりに
補論2 麻生義輝の西周著作集編纂に関連して─無政府主義者の一九三〇年代と明治日本
1 問題提起
2 『西周全集』編纂までの事情─相沢英次郎、麻生義輝、大久保利謙
3 アナキストとしての麻生義輝(一九〇一〜一九三八年)
4 麻生義輝と明治文化研究会
5 先駆者という名づけvs幕府の戯画化
6 おわりに
おわりに
あとがき
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