いまから60年前、学園での暴力追放と生徒の処罰を撤廃し、自由と自治の高校をつくりあげた生徒たちがいた。いじめ、ブラック校則などが問題になっている今、この生徒たちの目線で「自由の学園」の経験を語り伝える。
はじめに
T 深川西高の前身 ―戦中期の旧制深川中学校─
1 北海道深川市の概要
2 北空知中学校の創設
3 戦時中の深川中学校
(1)北空知中学校から深川中学校へ
(2)深川中学校職員の召集
(3)勤労動員
(4)戦時中の教科内容と軍事教練
(5)配属将校の学校支配と生徒・教師の時代への抵抗
(6)中学生の戦死と殉職
U 旧制深川中学校から新制深川高等学校へ
1 終戦時の深川中学校の混乱
2 戦後の学制改革と深川中学校から深川高等学校への昇格
3 学制改革六・三・三制の実施と深川高等学校の存続
4 男女共学になった深川高等学校 ─西校舎と東校舎に分かれて─
V 三島校長の教育方針と「処罰撤廃」 ―「処罰撤廃」と深川高校生徒会─
1 三島孚滋雄校長の着任
2 定時制の設置
3 三島校長と深川高校
4 三島校長の教育観、民主主義思想と教育実践
5 「日本の独立についての学校長講話」
6 保安大学校受験拒否事件
7 三島校長の教育方針 ―三項目の教育方針と処罰全廃─
8 生徒会会則に弾劾規定
9 三島校長の「処罰の撤廃」と生徒会自治
10 三島校長の退職
W 学園自治の基礎の形成と「あゆみ会事件」
1 学園自治の基礎の形成 ― 一九五三年四月から八月の間 ―
2 「教育二法偏向教育事例事件」と「あゆみ会事件」
3 深川西高の「自由の学園」づくり ―秩序維持委員会の創設─
X 深川西高=「自由の学園」の教育と学園生活
―深川西高の自由、自治、民主主義、仲間─
1 ホームルーム討議
2 H・R日誌
3 グループ、サークル日誌
4 コーラス大会
5 学校祭
6 全校討論集会
7 役員学習会
8 十年計画委員会
9 全校一斉作業(西高土方作業)
10 制帽の自由化
11 映画鑑賞活動
12 「生徒会の歌」と「学生の歌」
13 暴力事件の処分に関する他校との違い
14 大きかった女子生徒の力
15 生徒会活動家生徒と一般生徒の確執
Y 強制不当配転 ― 一九六六年三月の「ミサイル人事」─
1 背景
2 深川西高での経緯
(1)岡部教頭の転出
(2)不当強制配転
3 生徒の行動
4 同窓生の「深西民主教育を守り育てる会」の結成
Z 「ミサイル人事」後の深川西高の状況
― 一九六六年四月から一九六七年三月までの一年間 ―
1 三浦校長と深川西高潰しの命を受けた六人の着任
2 三浦校長と「新人会」六人の深川西高攻撃
(1)『深川西高新聞』検閲問題
(2)秩序維持委員会の活動停止を画策
(3)校長のスポーツ大会開会式挨拶事件
(4)生徒会からの話し合いの要請を拒否
(5)生徒の日常生活への介入
(6)PTAへの介入
(7)「新人会」教師の授業
3 深川西高「潰し」の手法と三浦・「新人会」がめざしたもの
―『ふだん着の校長』から見る─
(1)三浦が深川西高校長として着任した経過
(2)三浦と「新人会」の居酒屋謀議
(3)教師への分断攻撃
(4)「新人会」教師たちのその後
[ 「答辞」をめぐるたたかい ― 一九六七年の卒業式 ─
1 卒業式委員会
2 答辞草案ができるまでと私の入院
3 答辞草案の内容
4 「答辞」への攻撃と生徒のたたかい
5 答辞草案の検閲と修正要求
6 卒業式委員会顧問の脅し
7 卒業式前日の生徒たち ―三浦校長との話し合いを求めて─
8 仲間の支え
9 答辞の検閲・修正は校長が命じた
10 卒業式の成功
\ 一九六七年の卒業式後の深川西高 ―破壊攻撃の継続と生徒のたたかい─
1 答辞・送辞の新聞掲載拒否問題
2 創立三〇周年記念事業
(1)三〇周年記念事業
(2)『三〇周年記念誌』
3 深川西高の現在
あとがき
著者紹介:櫻田忠衛(さくらだ・ただえ)
1948年、北海道留辺蘂町温根湯(現北見市)生まれ。1967年、北海道深川西高等学校卒業、1972年、立命館大学卒業。京都大学経済学部助手、京都大学大学院経済学研究科講師(経済統計資料調査論担当)を経て、2011年、京都大学大学院経済学研究科退職。著書に『昔、聚楽座があった ─映画館でみた映画─』かもがわ出版、2010年、『経済資料調査論の構築 ─京都大学経済学部での試み─』文理閣、2011年、『北海道深川西高校「あゆみ会事件」─真実と平和な世界を求めて─』文理閣、2014年(共編者)。
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