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美富子の部屋

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私の京都新聞評

京都新聞で担当した(2004年5月〜10月)「私の京都新聞評」の転載です。

◆「織りの四季」に京の奥深さ見る (2004/5/23 )

旅先の旅館やホテルでその土地の新聞を読むのは楽しみだ。
 日常とは違った空間を感じ、その地域を感じる。また、故郷から届く荷物のあいだに詰めこまれた地方紙もオマケの楽しみである。土地の呼吸が見えるのが地方新聞だ。
 五月十五日付夕刊には葵祭の腰輿(およよ)、十七日付朝刊には三船祭りの王朝絵巻が紹介された。斎王代はいうに及ばず童女(わらわめ)の茜や牛童(うしわらわ)の朱までカラーだから衣装の色まで茶の間で楽んだ。
 こうした絹の文化を紡ぎ続けてきた京の奥深さにふれるのが朝刊一面に毎日掲載されている「織りの四季」である。文様の写真と短いメッセージに、日本人の着物文化の思想の深さを垣間見る。
 それらの絹になる蚕は、今ツバメのさえずりを聞きながら、新緑の桑を食べて成長している。晩秋までに四−五回も育てることが可能だが、中でも春蚕(はるこ)は一番いい糸になるそうだ。人類はもう五千年も絹を着てきた。
 十六日付朝刊紙面では「明日への視座 12」の鶴見和子さんの「きものは変容自在」を味読した。
 紬織作家の志村ふくみさんと染織家の洋子さん親子の作品や著書から、文様の東西交流や伝播、現代の着物文化の国際的可能性が示唆されていた。
 私たちが幼いころから馴染んできた、十字のかすり模様が、はるかトルコのカーリェ修道院の六聖人のフレスコ画に原点があるという話。鶴見さんは「私たちの祖先は、なんと自由自在に外来の衣装や技法をとりいれて、日本の風土や暮らしに適応した日本の用の美を創りだしてきたのだろう」と感嘆されている。紙面に載った「聖堂(みどう)」と題する作品には、イタリアの聖堂のロウソクが着物いっぱいに灯っている。
 「織りの四季」に紹介される文様もまた、いにしえの志村さんのような人々の手になるものだろう。
 浴衣がウインドーを彩る季節になった。浴衣はここ数年、もう一つの夏のおしゃれ着として若い女性たちに人気がある。また、京都では観光客に手軽な着物体験を提案したり業界の着物復活への努力も積み上げられている。
 町で着物姿に出会うとほっこりする。着物は見る人を癒す、いたわりの衣装でもある。

 

◆ 読者に注意促した養鶏の連載 (2004/6/27)

店頭から牛肉が、牛乳が、卵や鶏肉が消える。騒ぎが起こるたびに、私たちは新聞やテレビの報道で、そうした食品生産の現場を初めて知る。
 鳥インフルエンザ発生の隠蔽から被害を大きくした、丹波町の浅田農産の養鶏場の規模にも驚いた。
 まるで卵工場、鶏肉工場の様相だ。魚は海から、牛乳は牧場から、卵は鳥小屋から来るというのは童謡の世界で、今では量産のために巨大な建物からやってくる。
 鳥インフルエンザは終息宣言が出て、私たちの食卓も日常に戻ったかに見えるが、危機は去ってはいない。そんなことに気づかされたのが朝刊に連載された「丹波町−鳥インフルエンザ」だった。
 6月1日から8日までの「問いかけるもの」は、日本国内の養鶏の実情をていねいに取材している。
 インフルエンザ予防ワクチンの使用を望む業者と、安易に頼ることを危惧する農水省。日本の卵の自給率は96パーセントだが、飼料は8、9割を輸入に頼るから、カロリーベースではわずか9パーセントであるという驚くべき数字。
 インフルエンザ感染予防のために、100パーセント、ウインドーレス(無窓)の鶏舎が増えている。廃鶏を取り出すとき骨が弱くボキボキ音がするというのはショックだった。一度も日光を浴びることなく卵を産み続ける鶏。自然の恵みだと信じて食べていた卵や鶏肉生産の現実。いくら安全に安価を求めてと言われてもすんなり納得できない。
 続けて16日から始まった国際編「国境を越えて」は日本への鶏肉加工輸出国タイとヨーロッパ有数の養鶏国オランダを取材している。EU(欧州連合)は、2012年までに、採卵の場合一羽あたりのスペース確保、産卵のため囲った場所、とまり木を設備するよう規制をもうけている。さらに、卵には文字や番号が打たれ、環境や飼料など生産履歴が一目でわかる標示が必要だという。当然生産者からは価格や設備面で反発があることも取材されていた。 
 そんな動きの中で、日本の養鶏事情は今後どう展開するのだろうか。店頭ばかりでなく、もっと生産現場にも注意を向けることを訴えた連載だった。
 この連載は毎日続いたが、本紙には他にも多彩な連載記事がある。掲載曜日が決まっているもの、不定期なものいろいろだ。毎何曜日とか、次回はいつとか入っていると便利だと思う。

◆満州を証言する丁寧な作業  (2004/1/21 夕刊)

七月十九日付本紙朝刊朝刊は「『日本で4人力合わせ』曽我さん一家帰国」のカット見出しで、そろって日本の土を踏む一家の姿を報じた。
 やっと実現した先のジャカルタでの家族再会は、テレビが実況中継し、十日付本紙朝刊は夫婦抱擁の写真とともに大きな見出しを踊らせた。
 拉致という理不尽な国家犯罪に翻弄された人生に、誰もが同情しあたたかいまなざしで一つの家族を見守った。その報道を見ながら考えたことは、家族揃って平和に暮らすという当たり前のことについてだった。
 時に家族は引き離される。一番大きなことは戦争や国策によってだ。
 本紙では昨年八月九日から毎土曜日付朝刊に「封印された『満州』」が、連載され、三部まで合わせて、昨日ですでに四十四回となった。開始以来、切り抜きして読んできた。地元紙ならではの面目躍如たる発掘である。
 「心の傷、58年閉ざしたままだった記憶」として始まった連載には、平安郷開拓団の苦難の旅路が、生々しい証言で綴られてきた。
 この記事の貴重さは、単なる証言にとどまらない。
 五十八年の時を越えた言葉は、資料調査による検証、綿密な地図の再現、当時を語る写真の探索など、丁寧な作業によって裏付けされている。
 証言をつないでいく二松啓紀記者の筆力もまた読者の心を揺さぶってやまない。
 驚かされた事実は、八月の終戦を目前にした三月、京都市が開拓団を出発させていることだ。人々は渡航すべく、下関へ向かう列車の中で「大阪が燃えている」と知らされている。平安郷は幻だった。京都市の約束した設備は皆無、ただ荒野が広がるばかり。
 ソ連軍参戦ではじまった死の逃避行から引き揚げ船へ。残留を余儀なくされた、当時幼なかった人々の、祖国への遠い道のり。いずれも生き延びられた人々はほんのわずか。
 この国は移民、あるいは開拓団という形でしばしば国民を棄民してきた。
十九日朝刊の片隅に「京都原爆展」の開催が。間もなく五十九回目の終戦記念日がやって来る。
 今、アフガンやイラクで、戦争で壊された家族はどのくらいの数に及ぶのだろう。戦争の恐怖で子どもたちを泣かせてはならない。まだ多数の拉致被害者が残されているのも、もどかしいかぎりだ。

◆原発事故のさらなる追求を期待 (2004/8/22)

「『真夏の夜の夢』華やかに」の見出しでギリシャ神話の神々がスタジアムに舞っている。本紙八月十四日付夕刊のオリンピック開幕記事だ。二十一世紀になっても戦火が後を絶たない中でのアトラクションが「命の尊さ時空舞う」の見出しで紹介された。
 中でも「妊婦が『海』に入ると、生命が誕生するかのように一面に明かりがともり、星のように輝いた」の記事に、テレビで見たシーンが甦った。スポットライトを浴びる妊婦の地球のように円い腹部は神秘的なまでに美しかった。「命」を妊婦起用でメッセージした演出に、芸術はここまで来たと感動した。残念ながら紙面にその写真はなかった。
 そのオリンピック開会式の一面トップ記事の横に「犠牲四人に別れ」の見出しで美浜原発事故合同葬が報じられた。事故がなければ四人の方も入院中の人々もビール片手にテレビでオリンピックを観戦しただろう。平穏な日常と家庭が、起こってはならない事故で壊される。遺された家族の無念さを思うとやりきれない。また原発事故は周辺住民を放射能漏れの危険にさらしかねない重大事だ。
 それも八月四日付朝刊の「今月の随想」で、歌人の道浦母都子さんの「死の町の昼顔」を印象深く読んだばかりだった。「開けられたままのアパートの窓、停止したままの観覧車、おもちゃや食器が散らばったままの託児所の保育室」。爆発事故のあったチェルノブイリ原発から四・五キロ地点の、永遠に立ち入り禁止の町の、人っこ一人いない風景だ。それが遠い国のことではないと思うとぞっとする。
 十日付朝刊の美浜原発事故は各紙が最大級の見出し。本紙はすそ見出しに「七人負傷 国内最悪 一度も交換せず 放射能漏れなし」、読売は「2人重体5人重軽傷 放射能漏れなし」。ほとんど同じスペースだから、「一度も交換せず」は効いていた。
 同日付の社会面では「140度の白煙一瞬『いつか惨事』現実」の見出しで「安全にもっとカネを 過酷な下請け一因か」と疑問をなげかけ、下請け会社が代金を値切られ、作業員が夜遅くまで働いているとの声を載せた。重要な指摘だと思った。
 この記事に記憶も新たなのは、五年前の茨城県東海村のジェー・シー・オーで作業員が大量被爆した臨界事故である。なぜ原発事故ではいつも下請け会社の従業員が犠牲になるのか。記事を見た瞬間に思った。
 十七日付朝刊各紙は関電の点検もれ四ヵ所を報道した。ある大阪紙は「効率優先の影響濃く」と本紙より詳しく報じ、重要な検査が下請け、孫請けに任される無責任な体質を浮き彫りにしていた。
 十四日付本紙社説は、国は原発の運転継続は六十年可能としていたが、楽観に過ぎるとし、国の定期検査、電力事業者の自主検査と老朽化対策の必要性を説いている。安全対策について国はなにをしているのか。今回の原発事故責任のさらなる追及を今後の紙面に期待している。

◆問題を投げかけた「揺れる保育所」 (2004/9/26)

 「甘い芳香 フジバカマ再生」九月六日付朝刊にこんな見出しで写真が載った。秋の草むらにいくらでも咲いていた清楚(せいそ)な野草だが、記事では府の絶滅寸前種に指定されているという。ここまで自然は壊されているのか。それが、市民団体の手で一斉に花をつけたというトピックスに、ようやく忍び寄る秋を感じさせてもらった。
 世界の、日本の、眉をひそめるような事件の相次ぐ報道の中で、紙面の小さな記事が心を和ませてくれる。「子供34匹、親に寄り添う 恐竜も子育て?」九日付朝刊には、いっそう目を細めた。中国で発掘された一億年ほど前の恐竜の化石写真。大きな頭蓋骨を取り囲むように小さな子供たちの骨がいっぱい写っている。子供の成長状態から恐竜も長期間子育てしていたのではないかとの記事を微笑ましく読んだ。
 一方とても気になる記事もあった。十日付夕刊一面の「働かず、学校も行かず ゛憂慮すべき〃若者52万人」の見出し。『二〇〇四年版の労働経済の分析』では求職や結婚をせず通学もしない十五歳から三十四歳の「若年無業者」が前年より4万人増え52万人、アルバイトなどで生活する「フリーター」も前年より8万人増え270万人もいるという。十一日付朝刊の社説も「就業意識高める努力を」とこの問題をとりあげた。国や行政の緊急な対策の必要性とともに、企業が若年労働力を活用することは社会的責任、同時に小学校段階から仕事の大切さを教える必要性もあげた。
 働けない若者の増加は深刻である。二十一日付朝刊地域・総合面に「引きこもりに理解を」としてNPO法人の「考える集い」が報道された。参加した若者は「仕事への恐怖と緊張感は今もあり複雑な気持ち」と打ち明ける。働きたいのにハードルが越えられない。まだ一般にはあまり理解されていない問題だけに、今後の紙面でもとりあげて欲しいテーマである。
 そうした中、十四日から十八日まで、京都市域の近隣ニュース版に「揺れる保育所 民営化問題を考える」が連載された。
 国からの地方自治体への補助金削減にともない、公立保育園の運営費は市町村の一般財源から充当される。結果、宇治市や城陽市が保育園の民営化を打ち出した。やがて府下各地で起こることが予想されるだけに、考えさせられる連載だった。
 民営化にともなって土地や施設の民間への譲渡、園児の引き継ぎ期間、しつけや育児・教育などがどうなるか、といった問題が起こる。これらを他府県まで広範囲な関係者と地元保護者などに丁寧に取材し、問題を投げかけた。
 「財政の効率化」の声の中、佛教大学の丸山美和子助教授の「子供の発達にとって最善か、との視点が欠けている」の指摘は重い。「若年無業者」問題を考えると、保育の段階から子供たちへのまなざしは熱くなければならないと思う。

◆「クマから学ぶ」環境問題(2004/10/24)

 各地で熊の出没が報道された。本紙では十月五、九、十五日付朝刊の社会面で滋賀、京都での捕獲や殺処分が報じられた。
 「ある日 森のなか 熊さんに…」と歌や、テディ・ベアの縫いぐるみで親しまれる動物だけに、山に返されたと聞くと胸をなでおろし、殺されたと聞くと心が曇った。
 そんな中、十九日朝刊の特集「環境を考える」では「森の植生に異変」として、熊出没問題を詳しく報じた。まさに熊に関して知りたいことのすべてが盛り込まれていた。
 記事によると熊は二〇〇二年の京都府のレッドデータブックで絶滅寸前種とされている。今年は、餌のドングリやブナの実りが悪い上に、台風で熟す前の青い実が落ちた。それにもまして森林変化が熊を窮地においやっていると指摘している。戦後、広葉樹林を伐採して、杉や檜の針葉樹を植えた。それらが林業の不振で間伐されないから山は荒れ、餌が乏しい。
 十三日付朝刊社会面の「2004最前線 表うら」では、山にドングリを届ける人々の運動が載った。熊を守る運動は、私たちが破壊してきた自然環境に目を向け、山の生態系を回復させる、大きな事業であることを考えさせられた。
 十月一日から六日まで朝刊一面に連載された「いま琵琶湖の森で」は、林業不振が招く環境破壊を指摘する、読みごたえあるものだった。一日中地面に光の届かない荒廃した人工樹林の森、地元の木材での家作りや間伐で植林を甦らせる取り組み、一方、県造林公社の抱える負債など今日の林業の深刻な課題、水がめを守るために検討されている「森林環境税」の問題などをとりあげた。琵琶湖の水質は京都、大阪、兵庫などその恩恵を受ける人々の課題でもあるから私たち市民も真剣に考えねばならない。
 十月十六日付朝刊一面には関西水俣病訴訟の最高裁判決が「国・熊本県の責任認定」「規制怠り被害拡大」と報じられた。
 一九五六年の水俣病公式発見から四十八年、提訴から二十二年、社会面は「長すぎた闘い喜び半ば 司法判断遅い 再燃する怒り」の見出し。
 歴史の扉を押すのにこんなにも時間と労力が要る。関西水俣病被害者・原告たちの辛抱強い裁判闘争には、「頑張ってくれてありがとう。水俣は私たちの問題でもあります」と労いたいと思う。
 本紙は水俣病を世界に伝えた写真家ユージン・スミスさんの元妻、京都に住むアイリーンさんにも取材している。アイリーンさんの「最高裁がおわっても悲しみは消えない」の言葉を意味深く読んだ。地元紙ならではの取材である。
 環境・教育・福祉など、今こそ地域ががんばる時代。今後も本紙に期待している。

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